私の愛娘はアスペルガー症候群。 そして、たぶん主人もまた…。 日々のつぶやき、気付いたことを綴っていきます。

フリーエリア


 ** ご連絡  **  
 お返事を書く余裕が最近ちょっとなくて・・・
 しばらくの間 コメントをお休みさせてくださいネ。
 (お返事ができませんが、BLOG拍手についてるコメント欄からメッセージ書けます~(^v^) )

 ※ sunnyのお部屋です 
      別館 私の生活日記(http://lune02.blog50.fc2.com/) 

  • ☆☆
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 |
BLOG拍手 非公開コメント欄でアドレスをお知らせくださった皆さまへ
2014-02-04 Tue 12:17
大切なお知らせ


BLOG拍手のほうの非公開コメント欄を用いてアドレスをお伝えくださった皆さまへ!!

とてもたくさんのご連絡に驚いています。
と同時に、おひとりおひとりの温かなお声かけにとても励まされ 心から嬉しく思っています。ありがとうございます。

こちらのブログにはしばらくぶりで覗いてみたところ、BLOG拍手欄経由でたくさんの皆さんから引っ越し先新アドレスの受信用連絡先をお伝えいただいていることがわかりました。
ところが
どうもBLOG拍手欄のコメント経由では、アドレス表示がすべて途中で切れてしまうことが判明しました。

例 abcxyz@yah ←abcxyz@yahoo.co.jpのアドレス??というように途中で自動削除されてしまうようです。


お手数をかけて本当に申し訳ありませんが、必ず拍手コメント欄ではなく、メールフォームのほうを使ってご連絡頂けると助かります。
コメント欄を使ってご連絡を下さった皆さま、二度手間で大変申し訳ないのですがアドレスがわからないため再度メールフォームのほうからご連絡ください。
よろしくお願い致します。

※すでにメールフォームをご利用の皆さまのメールはきちんと届いておりますので、準備でき次第連絡致しますネ☆


スポンサーサイト
別窓 | その他 |
あけましておめでとうございます & ありがとうございました
2014-01-15 Wed 08:19
2014年 あけましておめでとうございます





皆さま、温かいコメント本当にありがとうございました。

BLOGのこともありましたが、リアルのほうでいろいろと動きがあって忙しく しばらくこちらにこられずすみませんでした。
皆さまからの温かなお言葉 胸に沁みました。


ココでBLOGを始めて    まる8年。
早かったような 長かったような・・・・ もうそんなになるんだなぁ

静かに 目立たないようにと どこのランキングなどにも登録する事もなくやってきましたが、これだけ長くなると見つけて下さる方がたくさんいらっしゃるようになりました。
あっっ BLOGのタイトルがはっきりしすぎていたからかしら・・・・・(汗)



お引っ越しをすすめてくださったかた、ありがとうございました。
そうですね・・・ ここでお知り合いになれた皆さまと離れることに抵抗があって長い間続けてきましたが。。。

ぼかしぼかし記事を書いてきましたが、ここまで長くなると過去の記事を遡って事細かに調べていくと下手をすれば私やsunnyの身近にいる方々にはそろそろ身バレしちゃう危険を感じるようになってきました。
このあたりが もう潮時かな・・・と。(^v^)


もう少しお休みしてから 別の場所で心機一転 のんびり綴っていくのもいいかな なんてそう思っています。



 Dear アスペルガーの君へ を応援して下さった皆さま 本当にありがとうございました。

※ 最後に・・・
  これまでコメントを下さったお友達の皆さまへ 新しいBLOGのほうにもまた来てみたいと思われる御奇特なかたがもしいらっしゃいましたら これまでのコメント入れる時に使ったハンドルネームのお名前を入れてメールフォームのほうにご連絡くださいましたら引っ越し先のアドレスをお伝えいたしますネ。(といってもまだ再開の予定はたってないのでもうちょっとたってからになると思います。すみません~ 汗)
その場合、こちらから送ったフリーメールアドレスからの受信が可能な状態に設定をお願い致します。



別窓 | その他 |
困った時は 人に助けを求める、すると嫌われる。。。
2013-12-14 Sat 11:55
このところ ちょっと(…いや、かなり?)ささくれだっている私がいる。

そんな中 こんな画像を見つけて ちょっとほっこりした。

サンタクロース仕様のふなっし―(http://abeno.keizai.biz/headline/1099/)
うふ かわゆス。

sunny ゆるキャラさん達が大・大・大好きです。
今年のゆるキャラグランプリ2013も、それこそ興味津々で 首を長~くして結果発表を心待ちにしていました。

さのまる これまた 超かわゆス

テレビ朝日の番組で ミラクル9というものがあるのですが、ここで出題されるクイズの中に「ゆるキャラ」という項目があるのですよね。
んで、元ボクシングチャンピオン 具志堅さんがこの分野にすんごい強いの。笑。
sunnyもゆるキャラ知識?を勉学中??なので、『打倒!具志堅』目指してます 大笑。




話がころっと変わりますが。

sunnyをサポートしていくうえで、どう伝えたらいいか どうしたら意味が正確に伝わるのか わからないでいることがあります。

困った時 わからない時に人に助けを求める
これです。

療育ではコレ けっこう頻繁に使われる言葉ですよね。
でも、この“正確な意味”というのはなかなか子供には伝わりづらく、時にはこの「教え」そのものが子供の二次障害を助長する事もあります・・・・・。

我が家は この悪い流れのほうを地で行ってしまって、現在袋小路に迷い込んでしまったような感じになってます。


どういうふうに悪い方向へ流れたのか。
まだ小さいお子さんたちへの今後の対処の参考になればと思い 書いてみたいと思います。


この「困った時に助けを求める」は、どっちかというと家庭というより 主に療育や学校の先生から学んできたのかな、と思います。(私はどちらかというと「間違ってもいいから自分でまず考える」ことを主体で教えてきたので)
失敗だったな、と思うのは、そのことに母である私自身が気付くのが遅れた ということ。
sunnyの中で 学校生活で問題がこじれてきて、大きくなって、彼女自身否定的になってきてからはじめて気が付いた。

彼女は、言われた言葉の意味を“正確に把握する”ことに相当の苦手があります。
まあ いわゆる「字義どおりに受け取る」のです。
でも実際には、『使っていい場面』と『使っちゃ悪い場面』というのが現実生活には存在するのです。
教える側はそのことまで考慮に入れずに、本人が間違えないように詳しく説明はせずに 安易に子供に教えてしまう。

じゃあ 具体的にはどういうことか。

授業を聞いてきて、その最中によくわからないことが出てきたりしますね。
sunnyのような子にとっては、なにげない 当たり前のようなことでもわからなかったりします。
たまたま欠席した日の翌日の授業。先生は1人の児童・生徒が欠席したことなど考慮せずに授業を進めます。
算数の授業。
コンパスで円を書いたり、三角定規を使って直角を書いてみる問題を皆にやらせてみる。
でも昨日の授業でやったことは、授業を受けてない休んだ子にとってはよくわからない。
隣の子や後ろの席の子の方を振り向いて、どうやってるか見てなんとかしようとする。
「・・・・なんで見てんの。こっち見ないでよ。」

音楽の授業。リコーダーで曲の練習。新しい運指を先生が説明してくれたけどなんだかよくわからない。
昨日説明しただろう運指もわからない。
すぐ近くにいた子に「これどうやるの?」
先学期くらいまでは・・・こうして聞けば教えてくれる子が多かった。
でもだんだん 「そんなの 自分で教科書見なよ」「なんで先生に聞いとかないの!」

そう・・・誰でも 限度というのがあるんですね。
「少し」なら誰でも手伝える。
でも「たくさん」「しょっちゅう」なら・・・・・・ 嫌になるんです。

本当は大人が子供の大変さに気付いてあげられていたら、子供は同じ立場である子供にばかり頼らないで済むんです。
ところがクラスを受け持ってる先生はそこには手が回らない。
自分で考え、推測し、調べる ことに年相応の能力が無いsunnyは、「困っているときは(わからない時は)助けを求めたり 聞いたりしなさい」という教えに従い、周囲の子達に聞くんですね。
ところが、それが頻繁なために sunnyは次第に周りの子にはお荷物になり、それだけでなく「自分では調べたり 工夫しようとしない 怠け者でズルい子」という認識が出来上がってくるんです。

人の善意というのは、余裕があってこそ機能します。
なんせクラスの子たちも子供なんですから。自分のことだってけっこういっぱいいっぱいなんです。
そこへいくら「手助けしましょう」とお題目を唱えたって、子供たちにとっては「そんなことくらい自分で考えてよ」「そのくらい自分でやってよ」となるんです。
だって、『重い』から。

sunnyからしてみたら、「だって あの子たち私じゃない他の子が聞いたら教えてるんじゃん。。。私にだけ教えてくれない。意地悪だ。」となる。
実際には、他の子は負担にならない程度にしか 人に頼っていない。
ごくたまに聞く程度なら悪いようには思わないし、また、仲の良い子・自分が助けてもらってる子に対しては聞かれたら親切に答えるもんなんですよね。

悲しいかな、sunnyは人を助けたりするチャンスが無い。いつもわからず とまどい。ありがとうって思ってもらうチャンスが学校では全然ない。



そのうち 彼女はこう認識する。
助けを求めたのに、教えてって言ったのに、誰も助けてくれないじゃないか。
他の子には親切にするのに、私にはだんだんみんな冷たくなって。
私にだけ意地悪するんだ。
先生たちは「困ったら 人に助けを求めよう」って言ったのに。そのルールを破っている他の皆は悪いことをしている。
どうせ他の子たちはみんな意地悪で 悪者だ。




じゃあ、いったい何が悪かったのか。

ひとつは、「困った時は 必ず大人に助けを求める」
とわかっていなかったこと。
子供に助けを求めちゃいけないんですよね・・・子供達の余裕は 大人が思ってるよりずっと少ない。そして、平等であるがゆえに、自分でなんとかしようとしていないと思える者には冷たいのです。

じゃあ・・・現実の話、先生たちに聞こうとしても先生たちは常に忙しく 他の子の相手をしていることが多く聞きたい困った時に助けはもらえない。
・・・それが学校での「普通クラス」の現実です。
私が子供の立場に立って想像しても、学校生活で先生だけに助けを求めようとしたら 自分専用の加配の先生がいない限り「大人に助けを求める」こと自体無理がある・・・・・。
もし私だったら、「困った時は大人に助けを求めたり聞きなさい」と親や療育の先生に教えられてるとすれば、そんなできないことをやれといわれたって無茶苦茶言ってるじゃないか!!と憤るに違いないな、と想像できます。




もうひとつ。
わからない時、困った時には、助けを求める(相談する)ものと、自分で調べたり動いたりして自分の力で対処するもの2種類がある
とわからなかったこと。

休んだ日の次の日に三角定規の使い方がわからなくて困った。
そんなとき、彼女が本当に困っているのは、実は「三角定規の使い方」ではなく、欠席日の授業の抜けをどうしたらいいかわからない」で困っているわけです。
放課後、職員室に行き、「今日三角定規の使い方がわかんなくて困ったの。昨日休んだから」と先生に相談に行けることこそが本当に大事なことなのです。
そこまで言われれば気付く先生は多い。
「ああ、昨日休んじゃったからだね。じゃあ、今度から休んだ日の次は、朝登校したら朝の会が始まる前においで。何があったか教えてあげるから。」となる可能性もあるわけです。
もしくは、「ああ、じゃあ休んだ日は、おうちの人に今日やった事を報告するからね」とか。

授業の途中で聞こうとしてもうまくはいかない。
放課後などにこんなことがあった、どうすりゃいいの?と大人に報告できるかどうか。
そこが大事なわけなんですよね。
実は、療育の先生たちは当然これを言わんとして「困った時は 助けを求めなさい」と言ってるわけなのですが。
しかし、子供にはそう伝わってはいないのです。でも、子供がそう思うのも当然だと思います。


三角定規の使い方がわからなかった。
でも、三角定規の使い方がわからなかったこと自体は、実は人に聞くものじゃなく。
どうやって 休んだ次の日にわからない授業ができないようにカバーしていったらいいのか。そこが人に助けを求めていいところ、いや助けを求めなくちゃいけないところなんですよね。



こういった詳しい内容・・・これって・・・・・伝えるのが非常に難しい。とっても難しい。どう伝えたらいいのか。わかりやすく具体的に教える方法が見つからない・・・・・・



人間関係をスムーズにさせるには、本当に複雑な要素がたくさん要るのをあらためて感じます。
本当に どうしたらいいのか ほんとわからない。。。。


別窓 | アスペルガー的中学生日記 |
療育の役割
2013-12-09 Mon 11:49
街のクリスマス・イルミネーションが綺麗です 

sunnyは近所の駅にあるでっかいクリスマス・ツリーを携帯のカメラに撮りためています。
毎年 写真に撮る。
イルミネーションの写真をあちこちで撮るわけではないんで、ココだけどうして?と尋ねたら、毎年毎年のツリーの飾りの変遷が面白いので記録に取っておくんだそうです 
なるほど いろんな楽しみ方があるんだなあ


年末。
大掃除の季節。。。。。。は―…
すごいな~ PCの場所から周りを見回してみると ココの部屋もなんでこう物があふれてるのかしら

パパもsunnyも 使ったら片付けなさいよ、もう~
その前に 自分 ちゃんと片付けなさいよ~ と自分突っ込み


出しっぱなしの本を片付けていて ふと目に留まる。
本棚の片隅にまとめて置いてある これまでの療育関連の書類。
たくさんある。
自分で作った学校へ提出する資料やら、WISCなどの検査書類。ネットで見つけて印刷した資料。パンフレット。療育機関の説明書。etc。

療育機関。・・・ずいぶん通ったなあ
・・・
今は「療育」と銘打っているところもずいぶんと数が増えましたね。

発達障害は 早期発見・早期療育が大事 と一般にも知識としてだいぶ広がりました。


自分を振り返ってみて。。。我が家の場合 当時としては珍しくけっこう早期発見+早期療育だったと思うのだけれど。実際、療育ってどうだったのよ?、というと。



『療育そのもの』については、ほんの一部を除いて 効果はなかったな~ というのが本音。
このほんの一部の効果があったもの、というのは、幼稚園就園前の集団療育のことです。
当時 集団生活というものを全く知らなかったsunnyにとって、先生がいてみんながいて・・・という経験は、失敗が多い彼女にとって失敗してもいい恥ずかしく思わないですむ準備期間として かなり有効だったものと感じます。

だけど。
それ以降のものについては・・・ う~ん あの子そのものにとっては あまり意味がない時間だったのかも と振り返って正直に思います。
意味があったのは。
  なんですよね。

相談する場所がある。
子供のことを知っていてくれる場所がある。
とりあえず 繋がってる場所がある。
発達障害の難しさ、辛さ、一般の人に説明しても理解してもらえない苦しみを、前置きでえんえん説明しないでもわかってもらえる。
親にとって宿り木になる、そういう場所。それが療育機関。


だけどね・・・・だからこそ 矛盾も感じたことも多かったですネ。
療育機関のスタッフさん達は、あくまでも「子供の支援・サポート」という意識が前面に立っていて、無意識下だけど親は従属物と見ているように感じる。

でもね・・・・ 療育機関で頑張っている先生方には悪いんだけど、本音を言うと 1週間や2週間に一度、もしくは1ヶ月に一度 1時間程度のちょっとした学習程度では、実のところ子供には何も残らない。
SSTを少しでも覚えていて使って欲しい と思うのはあくまで大人側の希望であって、子供のほうは そのとき何やったか、なんていうのはほぼ興味が無く、覚えていることと言ったら グループの子のやった面白い顔だったり お菓子が美味しかったとか そんなこと。

SSTの内容に興味があるのは 親のほうだ。


実は困ってるのも 子供ではなく。
本当に困っているのは 親のほうだと ・・・私は思うんです。

残念ながら子供のほうは「自分が困っている」とは思っていない。
「大人も子供も周りがみーんな意地悪で 冷酷で 嫌な奴らばかりだ」となんとなく思っているに過ぎなかったりする。そしてそれがまた 子供としては自然な姿なんだろうなとも思う。
子供に自分を客観的に冷静かつ正しく分析する能力を求めるなんてこと自体無謀なこと。
だからこそ 親はそれをわかっていて サポートしている。だからこそ、難しく 頭を悩ませるのだから。


「社会」の一般常識では 往々にして非難される形で育つ発達障害の子供たち。
子供を大切に思いながら 愛しながら、でも社会(近所 コミュニティ 学校 会社など)のシステムとも分断されるわけにもいかず 間に挟まるようにして 両方の間を取り持たなければならなくなる。
完全に板ばさみになり、どんなに努力してもがこうが 時には両方から「何やってんだ」「きちんとやってない」「どうしてわからないんだ」と非難される。
それが・・・・長年 繰り返される。


そんな中、少しでも子供と自分をわかってもらいたくて 療育機関に一縷の望みをつないで親は足を運ぶ。

そんなとき、これだけは言って欲しくない という言葉が私にはあります。
  困っているのはお子さんです。だから、お母さんは ○○して。(または、がんばって)


そんなのわかってます。
だから限界まで頑張ってきて それであまりにもボロボロに傷ついて息が切れて倒れそうだから 宿り木を探したわけで。
子供にふりかかる刃を出来る限り自分を盾にして守ってきたからこそ ボロボロになったわけで。
そこに 困ってるのはお子さんです、なんて言われてもねぇ
困っているのを 危険が迫っているのを子供自身がわからないからこそ、何をしてもどう伝えてもわからないからこそ、自分でよけられないからこそ、親が代りに自らの身で危険を受けてるのですから。

死にぞこないに とどめの一発をくらわすようなもんです 苦笑。


子供を守るのは親の仕事。
だから
療育機関には 親を守ってほしい と、私は思います・・・・・
親の傷ついてボロボロになった心 社会から冷たくあしらわれた記憶の積み重ねを 少しでも癒して、親たちがまた 我が子たちを身を呈して守る力が戻ってくるように。


それと同時に、集団授業形式でSSTをやられても 大人からはきちんと学習に見えることでも実際の子供にとってはやらされただけの意味のないものになる可能性大です。
それよりも、ひとりひとりの【子供と話しあう】【子供に相談させる】ことを大事にしてほしい と心から思います。

子供は自分が困ってることに気付いてない。
人に話す、人にわかってもらう、その重要性もわかってない。
だから 最大の問題は、特に自閉圏の子の場合 理解者や協力者を子供自らの力で作れない ことにあると思えるんです。
親亡き後も 子供は生きてかなきゃならない。
人はどんなに強い人でも ひとりで生きてくことは出来ないから。
他人に 自分の思いや苦しみをわかってもらえるよう、病気になった時 食べていけない事情が出来た時、なんとか伝えて生きていく道を切り開かなきゃいけないから・・・・。
そう 見た目には何も異常が無く“ごく普通に見える障害”だからこそ・・・・・・・・・・

コミュニケーションに難がある。それは、「他者のことをわかる」だけでなく、「自分のことを伝える」ことにも支障が出る ということ。
と同時に、sunnyを見ていてすごく感じます。
「人に自分をわかってもらう」ことがどれだけ重要なことかを 全くわかっていないことに。
困った時に人に話を聞いてもらい、意見やアドバイスをもらって それを参考にしながら自分で決める、そういう考え方と言うか手順を彼女はどれだけ教えてあげてもなかなか取得できません。
・・・そりゃそうです・・・ だって 学校などではそういう人にまずめぐり合うことないんですもの・・・伝えて良い思いをしたことがなければ、そうしたいという気持ちは育たないもの・・・


小手先のSSTではなく、もっと根本的な部分を 共通して使える考え方そのものを 経験させてほしい。親以外の人の手で。




今。
グレーゾーンかな?というお子さんについて親御さんとみられる人から相談があると、異口同音に「早く診断受けて早く療育を」と一般の人が叫びます。
この風潮には。。。正直 ちょっとうんざりする自分がいます。

その裏に透けて見える 違うものは早く見つけてはじきだせ というけっして言葉としては表にはでない風潮。
もちろん、親が早めに気付いて子供を助けてあげて、という心からの温かさも同時にあることもわかった上で。

診断というか、その傾向があるかどうかについては 出来る限り早くわかったほうが良いと私も思います。
だけど。
それには必ず 親へのフォローが必要です。
出兵する前の兵士の気持ちでいる人に ノーサポートなんて。ね

当事者の方々が口ぐちに書いてます。親の 特に母親の愛情が口から手が出るほど欲しいって。
闘いの最前列にいる当事者の人達にとって 当然な気持ちだと思います。覚悟を決めた勇気や特び込みを何度も出来るのは、そこに帰り休む場所があるからこそ 出来るんだと思うもの。

それと同じように 全面的に支える側の親のほうもまた 覚悟を持った迎え入れをできるように、支えてくれる砦が欲しいのですよね。
支える側がボロボロで余裕がなければ 闘っている戦士(=当事者)達を休息させてあげる場にはなりえません。
焼け野原で倒れこんでる人に 戦士をいたわってあげる余裕や体力が無いのと同じです。


そして・・・残念なことに現時点での療育機関の多くは・・・・ こうはなっていない と思っています。
まるで判を押したように マニュアルに書いてあることをそのまんまロボットがやっているかように【療育プログラム】を勝手に押しつけられます。丁寧な説明を添えて。。。。
もしくは、施設にあるゲーム、トランプ、UNO,お絵かき等で“楽しく”気分転換させられ、一時的に困った気持ちをなんとなくうやむやにさせられて、終わります。

子供の困っていること、いや感じていることはみな違います。
大人の都合で今日は「人の話を聞く練習をしましょう」なんてSSTの授業を組まれたって、その子は今 学校で叩かれたりからかわれたりして嫌な思いで爆発しそうかもしれません。
そなときに「人の話を聞く練習」なんてちゃんちゃらおかしい、ばかばかしい そう思っても不思議ではありませんよね―
どんなふうに休み時間過ごしてるか?
登下校 どんな雰囲気だろう?
言えないでいるけど、困ってると本人は思ってなくとも実は困ってるってことはないだろうか?
親には言いづらいことないだろうか?
そんな視点で温かくお話に乗ってくれる そういう場所が1か所でもあるといいなって そう私は望んでいます。


人に療育を勧める前に 思いめぐらせたいこと。
その親御さんの方向性がどんなに間違ってると思えるようなことであろうとも そう思ってきたんだね そうなるのも仕方ないよね とまずは受け入れられたら・・・
それがたとえ問題があることだと思えても 人にはわからない 想像もできないような経験と壮絶な過去の思いの裏付けがあってそうなってるかもしれないのです。
正論だけで人は成り立たないし、通じないし、正しい道だけを選びとれるものでもないのが 人間。
この私がまさにそう・・・・・・・・・・・
自分の抱えたものを否定して説教してくるような人間に心を開く人はまずいませんからね・・・
まるで刑事ドラマのように とはいかなくとも、どうしてそういう思いに至ったのか 親の思いのそこを紐解いてくことが親を救い、同時に子供をも救うと思うんです。

子供を救うためには 先に親を救わないと無理。
子供は・・・ 悲しいけれど子供は・・・・ どういう事情があろうとも親を大好きです。親に愛されたい、いくつになっても。本能なんでしょうね。。。親に愛されることそのものが 子供の幸せに直結してる。
母の愛に欠乏したまま大人になっても やはり欠乏状態は続く。愛されたい、が 憎しみの形に変化してでも。
だからこそ。
親子同時に癒されなければならないのだと そう思うのです。




別窓 | その他 |
享楽に溺れるか 創造に達するか
2013-12-06 Fri 10:58
すみません なかなか更新がままなりません~

このところリアルでいろいろと動きがあって。
そのことをBLOGに書きたい衝動がわくんだけど…けど、そうするわけにもいかないもんネ…


はや 年末となりました。
今年ももう あと少しなんだなあ 



皆さん、『興味を持つもの』って何ですか?

そう いわゆる趣味ってやつですね。
最近、コレについて 深い意味があることに気づかされました。

趣味の傾向には、実は二つの方向性がある・・・・・
創造 と 享楽
「享楽」、いや「消費」…と言い換えてもいいかな?

代表的な趣味というと 読書 音楽鑑賞 旅行 スポーツ… 細かく見ていけばもっともっといろいろありますよね~
好きが高じてマニアの域までに達し 鉄道オタクだったり 歴史オタクなんて人もいたりしますもんネ。

最初は好きでただ単純に 知りたい、わかりたい、そういう意識が働くだけ。
もっと深く もっとたくさん そのことについて知りたい。
そのうちにさらに深く追求したくなり、自分が得た知識を他者と共有したい、自分の知っていることをまとめてみたい、知りえた知識で新しいものを考えてみたい…etc というふうにだんだん幅が広がってくることもある。

たとえば 最初はただ運動不足を解消するだけのためにはじめたジョギング。
走っているうちに 他のジョギングしている人のフォームを見かけて、より走りやすい走り方を知りたくなって本を手に取ったり。
ちょっとウェアを本格的なかっこいいものにしてみたり。
少し長く続けていると今度はタイムが気になってきて。
ふとみたチラシや広報にマラソン大会の文字を見つけると なあんとなく自分を試してみたい気になったりとか。

趣味を持つことって、ただその時間を楽しむだけでなく その先の興味の幅を広げてくれたり、自分の未知の体験のきっかけを作ってくれたりするんですよね。
好きなことを突き詰めていくことによって、新しい自分や世界を「創造」していく力を持ってると思います。
仕事にも結び付いていくことも。



でもね。
実は・・・・・・
よくよく見まわしてみると、趣味には恐ろしいことに なかには「享楽におぼれさせる」だけの危険なものもあったりするんです。

それは、一般的には趣味とは呼ばれてません。
呼ばれてませんが・・・・・ それもやはり 興味対象ではあり、ハマってしまうものでもあることは確かなんです。

パチンコ
賭け事
シンナー、脱法ハーブ、麻薬
買い物依存
幼女性愛
・・・

…これらは残念ながら 興味が『創造』に発展することがほぼありません。
本当にごくまれに「消費」側から 「創造」側に移行することがまったくないわけじゃあないけど(パチンコについて本を出版するなど)、大多数は人生を食いつぶすのみに至るものです。

そして、気をつけなければいけないな、と思うのは…ここまでではないにしろ、よくよく気をつけていないと「享楽のみに落ち込む」可能性のある趣味 というのがあるんですよね。

たとえば。
ゲーム。

ゲームをすること自体は悪いことじゃあないんです・・・
楽しい時間を一時的に過ごすだけならいいんです。
だけどね。。。快楽に脳が支配され始めるとヤバイです。
やめられなくなります。そこが怖いところです。
ゲームが人間の脳にどんな影響を与えるかはまだ解明されてはいませんが、・・・おそらくドーパミンの放出が持続するように上手に作り上げられているのでしょう。
そこはメーカーさんの腕の見せ所ですからね。
そういうゲームを作り上げられれば、素晴らしい売り上げを誇ることができるでしょう。


そのことをわかっていて、自分をコントロールできる人がゲームを楽しむ分には何にも問題はない。
問題になるのは・・・ コントロールが効きにくい人の場合。


今、sunnyについて このことで非常に頭を悩ましています。
メリットとデメリットのバランスをどうとるか。


sunny、RPGのゲームにはまっています。
実は・・・もともとRPGのゲームを勧めてくれたのはドクターでした。
これにはきちんとしたわけがあり、論理性や計画性を苦手とする彼女に それを学ばせるのによいツールとなるのがRPGゲームだったからです。
興味の幅が狭く、なかなか興味を持たない自閉圏の子にも受け入れやすく 興味を持たせやすいのがコンピュータ・ゲームでもありました。

それプラス、ゲームの魅力は時に、IT関係の仕事への興味を感じさせる大きなきっかけになることがあり。
特にアスペっ子達の中には かなりの数でコンピュータ関係の作業に強みを持つ子が多いんだそうです。
療育先の先生から聞いた話では、ゲーム好きでハマっている子が 今度はゲーム作りにも手を出しはじめたところ、大学を卒業する前からすでに企業からオファーが来てしまってる、だけどゲーム作りに本人ハマりすぎて大学卒業の単位が足りなくて困っている、なあんて例も珍しくないそうです。


実際、RPGゲームというのは自分でもやってみるとわかりますが、“いきあたりばったり”では先に進みません。
○○をクリアするためには 先に△を持っていることが必要で、△を手にするためには ◎を▼というルートで必ず進み40%の確率で取得できる(つまり何回もTRYしないと手に入らない)、とこんなふうに地道に進めていかなきゃなりません。
これまで『調べる』『分析する』ということにほぼ無縁だったsunny、やらされることはあっても自らやろうとすることがなかった彼女が。
RPGゲームをやりはじめてから、自ら攻略本をむさぼるように読み、自分からネットを駆使して攻略法を調査するようになりました。

こうなるとすごいです。
これまでどうやってもものを「調べる」ことを嫌がり教えても実行することがなかったのが、大人でも大変な攻略方法を驚異的な調査能力で調べていき プリンタでプリントして資料を作成してます・・・

そんな姿を見ながら・・・私は思います。実は ちょっとほっとしたりも。
ああ、「できない」わけではないんだな。
本人がその気にさえなれば、いざとなれば 自分から動いて調査・分析できるんだな。(あくまでもネットや本でですが)手順ややり方自体は ちゃんとわかってるんだな って。
そんな姿 今まで見たこと無かったですから・・・・笑。
学校の『調べ学習』なんかじゃけっして見られない 超アグレッシブに調査する子供を見られますヨ。。。苦笑。

ただ。
このゲーム、上記のようにメリットも大きい分、リスクも大きい。
そう・・・・ハマり込んだら 抜けられなくなるような、快楽や達成感を増幅させるような仕組みがあるからです・・・
それ以外が目に入らなくなり、TVすら見なくなる。
過集中がおきやすい自閉っ子、寝ても覚めても ご飯を食べてる時でさえ ゲームのことが頭から離れない。

とても大きな問題だと思うのは、ゲームをしている時間 ではなくて、ゲームをしていない時の時間の過ごし方
ゲームをしていない時でも、一日中ネットでゲームの武器やら魔法やらの取得方法、YouTubeの動画で他の人がアップしたゲームの戦闘場面を見ていたりしています。
本と言えば攻略本しか目に入らず、それこそ何時間でも見ています。
雑談をしようにも、彼女の口から出るのは ゲームの話ばかり・・・・・・。
いかな私でも 毎日毎日一日中ゲームの話ばかりでは付き合いきれません。



こうしたゲームのような側面のある『興味対象』の場合、それを糧にできるよう導けるか否かには 重要なキーワードがあるんですね。
享楽(消費)から 創造へ。 
それを受け身でただ快楽として享受するんでなく。
興味対象をさらに深く追求し、自分で新たに『創り上げていく』。
そこに意識を持って行けた時に、はじめて大きなメリットとして様々なものを得ることが出来る。 

ゲームをすることにのみ満足するんでなく、さらにもっと面白いゲームはないか、という追求。
どんなゲームだと どんなシステムがあるともっと面白いか という追求。
どんなキャラクターだともっと可愛いか かっこいいか、もっと画面や動作がスムーズに動かないか、こんな機能がゲームについてると便利なのに、という追求。
…etc。
こういう意識が出てくることが「創造」への階段を上がっていくきっかけになるんでしょうね。




ゲームは危険だけれど。
かといって ゲームを単純に禁止するだけが良いとも思えない。

白 か 黒 じゃない。
0 か 100 じゃない。

どこでどうバランスを取るか。
黄金比はどこにあるか。
探すしかない。
sunnyと一緒に ぶつかって 話しあって あきらめないで。根気づよく。

ああ
これもまた ゲームの中に出てくる“アイテム探し”に似てるかも 笑。

でも これの『攻略法』はどこにも資料が無いので 
自分の手探りだけで行くっきゃないのが すんごく辛いですネ





別窓 | アスペルガー的中学生日記 |
“言えたよ”記念日
2013-11-19 Tue 15:34
今日 11月19日は、“言えたよ”記念日。
大切な日だから、記録に残しておく。





会話に難があるsunny。
どうしても一方的になる。
自分の興味のある話題を半ば強引に(本人としては気を遣っているつもりなのだが、話すのを我慢することや同じ話題ばかりにならないような調節が出来ない)話しかけてしまう。

それだけならまだいいが。。。問題なのは、相手の話はちゃんと聞かない。

私はいつもコレについてsunnyに注意しているわけではないが、やはり学校などの人間関係ではコレが原因で嫌われることが多いのも事実で、人とそこそこに上手くやるためには意識付けが必要だともわかっているので、定期的に注意をする。

で。
彼女の反応は いつもお決まりのコース 
急激に不愉快な顔つきになり、話を受け付けられなくなり、ぬいぐるみや毛布などを掴んで顔を隠すように丸くなるか、もしくは布団にもぐりこみ丸まって出てこなくなる。

この反応 一種の防御反応ということもわかってはいるのだが・・・・・・ わかってはいるのだけど、けっこう対応している側も不愉快になる。
それがなぜか・・・・・・この行動もまたやっぱり 実際のところ 人との対話を勝手に切り捨ててる行為だから。


もちろん、sunny自身も気持ちがいっぱいいっぱいで 自分でクールダウンするための行動だったというのもわかってはいる。
しかし、この行動 タイミングを気を付けないと。。。人の話をわざと切り捨てる手段にも応用できる。まるで、わざと話を聞きたくないがゆえに上手く「クールダウン」を口実に利用しているようにも見えるのだ。(実際に利用する危険性も含まれる)
だから、相手の話が始まって“すぐ”のタイミングでこれを行うと、余計に相手の怒りを買ってしまう。
少なくとも 注意されてたら、その話が終わらないうちくらいは聞いていなきゃね・・・・・。


問題なのは、実はこれだけではなく。
一旦丸くなってしまうと これまたガンとして話をしなくなってしまうこと。
実は、大きな問題になるのはこちらのほうなのだ。

学校などでもそうで、トラブルが起きた時、もしくはちょっと問題がある発言などを無意識にしてしまった時などに注意をされると“無言で丸くなる”反応が出てしまう。
丸くなるのはともかくとして、対応している先生などはsunnyの言い分や思った事・感じたことなどを聞き取ってsunnyがどうしてそう言う行動になったかを理解してくれようとする。
そんなときに“無言”を貫いてしまうと、せっかく自分の思いを伝えられる絶好のチャンスに相手になにも理解してもらえず 何も言わないことであえて誤解を大きくしてしまう、という絶大な不利が生じるのだ。

このあたりは「特性だから」と悠長なことは言ってはいられない。
どんなに気持ち的にいっぱいいっぱいでも 人はテレパシーなどは使えないので どうしても言葉で伝えるしか手段がない。
どんなにヘタクソでもいい、とぎれとぎれでも まとまってなくてもいい。
『自分の思っていたこと・感じていたこと』『どうしてそうしたかの理由』をとにかく話すこと。
これが、sunnyの理解者を作っていく大きな足場となるに間違いない、と私は踏んでいた。




ところが、これが・・・・・・・どんなにsunnyに説明しても 実行されなかった。
実行が難しいこともわかっている。だけど、実行しないと彼女の不利益が莫大になることもわかっていた。
だから、どうしても実行をTRYするよう促すしかなかった。

もう 何年たっただろう
彼女が小学校低学年の時からだから・・・ 7年くらい?
ずうっと言い続けてきた。その大切さ、重要さ。
何年言い続けても 彼女の中ではなかなか納得されないことに 時には苛立ち 時には怒り 時には呆れ 時には期待し。
終わりが見えない中 それでも彼女の不利をあきらめきれずに言い続けてきた・・・・・



ところが今朝。
一方的になってしまう会話の件で注意した折、案の定 布団にこもって丸くなってダークサイドに落ちてしまったsunny。
私は布団に丸まっているsunnyにそれでも声をかけた。
「あなたを責めてるんじゃないんだから、そうやって丸くなって話から逃げちゃうのは止めようよ。
 どうして そうやって丸くなっちゃうの?そんなに落ち込むからなの?
 ・・・お母さんはsunnyじゃないから、sunnyの気持ちを話して教えてくれないとわかんないんだよ。」
… 出来る限り 落ち着いた声で。そして 小さい声で。(自分の気持ちを抑えるのも本当に難しいものですね・・・)

このとき。
はじめてのことが。
「違うよ。 落ち込んでんじゃないよ・・・・・」
この状態の時に彼女が話してくれた。はじめてのことだった。

この後、わたしもさらに意識してなるべく優しく聞こえるように「怒られるかもしれないと思っても、正直なあなたの気持ちを聞かせて。sunnyがどう思ってるのか知りたいんだよ。」と促してみた。
sunnyは丸まりながらだけれど、
 ・どうして急にお母さんが注意し出したのか、理不尽に思った
 ・自分でも一方的にしゃべってしまうことを後悔しているのに、さらに言ってくるのか
このふたつの気持ちがあって 自分がいっぱいいっぱいになったことをちゃんと話してくれた。



私 もう すぐさま 「そうなんだね よく言えたね。すばらしい返答だったよ、あなたすごく成長してたんだよ」と伝えました。
これまで出来なかったこと。sunnyが出来た日。今日。

sunnnyのふたつの疑問にもちゃんと答えたけれど、とにかくそれ以上に これまで長い間ずうっとやれないできたことが 出来た!!!!!そのことがもう 嬉しくて 頑張ったsunnyを褒めてやりたくて。
注意の内容よりも、出来た、言えたことの成功の喜びが強すぎて なんだか変なテンションの母になってしまった私だった


sunnyには はっきりと言葉で伝えた。
あなたにとって今朝 お母さんからまた注意されちゃったと否定的に思ってるだろうけど。
たしかにそれもあるけど、あなたはこの経験でひとつ大きく成長した自分を発見したね。
反省も大事だけど、出来た自分を褒めることも大事にしなさいね。




一回出来たからといって次からも話せるかどうかはわからない。
ただ。。。出来た、話せたという『成功の実績』を作った事は間違いない。
結果を出したのだ、彼女は。
すぐには出来なくとも きっと必ず言えるようになる。


今日という日。“言えたよ”記念日。
別窓 | アスペルガー的中学生日記 |
悩ましい制度の壁
2013-11-12 Tue 14:39
ちょっと更新をご無沙汰している間に、ずいぶんと季節が進んでしまいました
ほとんど真冬ですよ~

ほんの1ヶ月前には気温30℃越えてたっていうのに
は一体どこへ行ってしまったんでしょうねえ



台風の猛威。
TVでフィリピン レイテ島の惨状を見ました。
・・・・
・・・・その様はまるで・・・ あの2011.3.11 東日本大震災の津波被害をまざまざと想起させられました。

ちょうど自分でお昼ご飯を食べようとしていた時に、現地の様子をリポーターの人が中継していて。
食料と水がなくて苦しむフィリピンの被災者の人達の画像を前にして・・・ブロッコリーを箸で持ち上げたまま 食べられる気分でなくなりました。
今自分が食べようとしてるこれを、もし瞬間移動させられたら 届けることが出来るのにね。。。

そうあの時もそうだった。
あの日 私の実家のある県に住むライフラインが止まってしまった友達に水と食料を送りたくて 近くのスーパーでレトルト食品とペットボトルを調達した。
段ボールに箱詰めした。
でも
送ることが出来なかった・・・・・・・
送る手段がどんなに探してもみつからなかった。
ただただ 電話やメールで安否確認や励ましをかけることしかできなかった。

母を助けに向かうだけで手一杯だった。
はがゆい。
力になれない自分。
はがゆすぎる。

その時の思いをやっぱり引きずってるんだろうか・・・フィリピンの被災者の人達に何かできることはないだろうか。




sunnyは落ち着いているように見えながらも やはり自分が行くべき場所がないことに強く不安を抱いているように思えます。

毎日ゲームの攻略で頭いっぱいにしているようだけど。。。実はそれは 「逃げ」。
現実の今自分の前に立ちはだかっている問題に 押しつぶされそうだから。

やっぱり行きたいのですよ。本当は。学校に。
でも、周り(学校と生徒たち)は受け入れてくれないから。。。行くことが出来ない。

どうしたら彼女が通える状態に持っていってあげられるだろう そこに悩み迷ってます。

人間関係さえ、他の周囲の子達がおおらかにごく普通に受け入れてくれて いじめや無視さえなければ 全く休まずに登校できる子なんですケドね・・・。
それが難しい今の世の中。今の学校。



彼女の将来を考えた時、ふたつの道があります
障害者就労か、一般就労か。

たぶん sunnyの場合 障害者就労が適しているでしょう。親の直感で。

ただ、そうはいっても 「障害者就労」にも仕事の幅というのがあるんですよね。
単純作業系に向く人もあれば 事務系に向く人もいる。
自閉さんでない場合だと接客業のほうが向いている人だっている。(ADHDオンリーの人だと営業が最も合う人もいるんだそうです)
高機能で理数が得意の人の場合だと、IT系に力を発揮する人も多い。


彼女は・・・何が向いているんだろう・・・
そこがわからないから・・・悩むんですよね。


今のsunnyの状態から見ると公立中の支援級で落ち着いた日常を取り戻させてあげたい って心境が強いです。
だけどそこに一緒についてくるデメリット、一旦支援級に在籍すると 内申はつかない&公立高校進学が不可。

もちろん公立高校と言っても一般の子が大量に通う普通高校は頭に毛頭なく、頭にあるのは公立定時制のこと。
支援級在籍の子でもまず受験資格があるのかどうか。

阻むのは 制度の壁。

私立高校にももちろん通信制や不登校生徒の支援を対象にしたクラスなど2校ほど候補がありますが、難しいのは sunnyがそこにいる子達と相性が合うかどうか これが唯一のカギとなるだけに選択肢がなるべく多く欲しいのですよねぇ


一般の子と同じように長いこと同じ学校にいられるように、と考えるより、逆に出入りがしやすい やり直しがききやすいやり方を選ばないと というのがこれまで学習したことから言えること。


どうしようか・・・
う~ん どうせなら 公立中に移って不登校状態のままでもいいから とりあえず普通級で卒業したほうがいいのか・・・
その場合、内申はつかないが ちゃんと受験資格はある。
事実、sunnyの通うフリースクールの先輩が不登校のまま卒業したが公立定時制に入学し、現在大学進学を実現してる。(時々カップルでフリースクールにボランティアで来る。幸せそうでとってもほほえましい


ああ 学校に通わせたいんじゃないんだよね・・・
彼女が好きになって打ちこめる道を探すのを 手伝ってあげたいだけなんだよね。
道を見つけるのを邪魔したくないだけなんだよね。

そこの定時制はいろいろ工業系やIT系やら専門的な勉強もできるみたいだし。。。

支援級を選択したいのに、どうして支援級に在籍したらその先の学びがないの?
どうして 清掃やクリーニングなどの単純作業の実習しかやらせてもらえないの?
どうして支援学校の分校やら障害者職業訓練センターやらばかりに道を決められちゃうわけ?
障害者といっても その人その人で合う職業は全然違うでしょうに・・・・・。
子供によっては 知的度合いが若干低めでも事務作業が的確に行える子やIT系・デザイン系に底力を発揮する子も絶対いるはずなんだよね。

それが、すでに中学の段階で “障害者と名のつくものはすべからく単純作業ONLY”へのレールを敷かれてしまう。


・・・  親御さんたちは「支援級に在籍する事」を嫌がってるんじゃないのよ。
・・・  「支援級に在籍したら勝手にその先のレールを敷かれる」、そして「そのレール以外の道を失くされる」ことを嫌がってんのよ。



別窓 | アスペルガー的中学生日記 |
| *― Dear ―* アスペルガーの君へ | NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。